2015年 03月 02日
まもなく震災四年の想像
当時の写真や映像が流れてるとチャンネルを変えたりするし、そもそもテレビじゃ流れなくなった気がする。
忘れたい訳ではないけど、進んで思い出すとか、思い起こすことは、してない。
当時の感情に触れることは、やはりストレスなんだと認めざるを得ない。
見たくはないし、見ると悲しくなるし、被災や震災や人災を忘れてるわけじゃないけど、どうして接すればいいか、未だに迷う、悩む。
最近、地震も続いてるし、地震が起きると非常食あったっけとか、電池あったっけとか思う、思い出す。
忘れたいんだと思う。嫌なことは。寝たら嫌な感情が薄らぐのは生理てきなことと、何かの本で見たような気がする。人は生きるために忘れるのだと。
でも、忘れるってことじゃなくて、忘れるって言葉が悪いのかな、震災を休止したい、震災を考えるのを休止したい、って思うことは、現実を見つめない弱さなんだろうか。
とだらだら考えて、まとまらないときにって訳じゃないですけど、ちょうど文庫になってたんで、ようやく読みました。
想像ラジオ、いとうせいこう。
ストーリーや構成は好き嫌いあるんだろうけど、話の節々にある、震災との関わり方、被災者との関わり方は、こう考えてもいいんだ、いいよね、そうそう、そう思ってたんだ、と感じた。
いろんな想いがリンクする、良い作品です。
ちょっと切ないけど、年一でも、自ら触れてみても良いですよね。